「やりたいことが見つからないなあ。どうすれば、やりたいことが見つかるんだろう?」と悩んでいる人もいるでしょう。
でも、一旦立ち止まって考えてみてください。
そもそも、やりたいことを見つける必要があるのでしょうか?
やりたいことが見つからないと何か問題があるのでしょうか?
やりたいことが見つからないと何かデメリットがあるのでしょうか?
昨今、「やりたいことを見つけよう」「やりたいことを見つける方法」というようなことがしきりにいわれています。
しかし、なぜやりたいことを見つける必要があるのかにはあまり触れられていません。
自分が実現したいこと、目標、夢、、、それらに向かってがんばりましょうという方向性はわかるのですが、そもそも「なぜ」夢に向かってがんばらないといけないのでしょうか?
またやりたいこととひと口にいっても、漠然としているといえば漠然としています。やりたいことといった場合、それはどのような範囲を指しているのでしょうか。
ここでは、やりたいことを「人生」と「仕事」という2つの区分に分けて考えていきます。
そして、やりたいことが見つからなくても問題はないのか、やりたいことが見つからないとデメリットはあるのか、そもそも見つける必要があるのか、について見ていきたいと思います。
やりたいことが見つからないというときの2つの区分
まず「やりたいことが見つからない」というとき、大きく分けて二つの場合があるでしょう。
- 「人生」においてやりたいことが見つからない
- 「仕事」においてやりたいことが見つからない
「人生」においてやりたいことが見つからない場合
人生においてやりたいことが見つからない場合が、本当の意味での「やりたいことが見つからない」という状態でしょう。
人生とは、「人」が「生」きると書きますが、まさに「人生 = 生きていくこと」ですね。この人生というもっとも大きなステージにおいてやりたいことが見つからないということは、これからずっと生きていく上でやりたいことが見つからないということになるのではないでしょうか。
ただ、やりたいことが見つからないとはいっても、長い人生を考えた場合の、いわゆるライフワークのような点において長期的にやりたいことが見つからないのであって、毎日の生活の中では、少なからずやりたいことや実現してみたいことはあるはずです。
例えば、次のような、日常生活にある「小さなやりたいこと」は見つかるはずです。
- あのお店に行っておいしいものを食べたい
- 話題の映画を見たい
- 大好きなミュージシャンのコンサートに行きたい
- 友達と遊びたい
- 家族で旅行に行きたい
- ジムに行ったり、運動したりして汗を流したい
- 何も考えなくていいゆっくりとした時間がほしい
このようなことは、目の前にあるやりたいことですね。
大抵の場合、「やりたいことが見つからない」というときの「やりたいこと」はこのような目の前のことではなく、もっと大きなものを指しますね。
ですから、単純に「やりたいことが見つからない」という場合、「人生においてやりたいことが見つからない」という表現に行きつくわけです。
「仕事」においてやりたいことが見つからない場合
「人生」全体においてはやりたいことはいろいろあるのだけれど、「仕事」に限ってやりたいことが見つからないという場合もあるでしょう。
例えば、「英語を勉強して海外で暮らせるようになりたい」や「世界一周をしたい」、また「文章をずっと書き続けていきたい。ゆくゆくは本を出版したい」など、人生においてやりたいことはあるのだけれど、「仕事は仕方なくやっているだけで特にやりたいこともないし、向上心もないのです」というケースがそれに当たります。
この場合は、大きな視点で見ると「やりたいことは見つかっている」といえます。ただ単に仕事においてやりたいことが見つからないということであり、より広い人生というステージにおいてはすでに見つかっているのですね。
仕事という、どちらかといえば人生に比べて狭いステージにおいて見つかっていないだけの状態といえるでしょう。
私の場合、学生のころは社会人になるのが本当に嫌で、人生においても仕事においてもやりたいことは見つかっていませんでした。
いずれ社会人になって働いていかなければならないということは想像がついていましたが、決断を何となく先延ばしにしていたのですね。無気力やモラトリアムといわれるような状態でした。
いま振り返れば、何か決めなければならないという、周囲の無言のプレッシャーのようなものを勝手に感じていたのかもしれません。
ですから、やりたいことが見つからないという気持ちはよくわかります。
自分がどの部分に対して「やりたいことが見つからない」と感じているのかを、改めて自分自身にじっくりと問いかけてみるといいと思います。
以上「やりたいことが見つからない」という場合、「人生において」と「仕事において」という大きく二つの場合があるという点をまずは抑えておきましょう。
やりたいことが見つからないってデメリットあるの?
では、やりたいことが見つからない場合、何か問題やデメリットがあるのでしょうか?
順番に見ていきましょう。
人生においてやりたいことが見つからない場合のデメリットはあるの?
「人生においてやりたいことが見つからない」場合、デメリットは何でしょうか?
実は、やりたいことが見つからなくても「何も問題ない」と思います。
ただ、「生きていく上ではまったく問題ない」ということを付け加えておきましょう。
やりたいことが見つからなくても、生きていくことはできるでしょう。やりたいことがあるから生きていける、やりたいことがないから生きていけないというものでもないと思います。
もう少し踏み込むと「生き延びていく」ために、やりたいことは必ずしも必要ではないということです。
むしろ、生き延びていくためには、「衣食住」であったり、「お金」であったり、「周囲の人たちのサポート」であったり…、そういう物質的・直接的なもののほうが必要となってきます。
食べるものがなければ病気に罹りやすいですし、住むところがなければ日々の生活を安心して過ごすこともできなくなります。またお金がなければ生活を継続することも難しいでしょうし、そのような場合に家族や友人など周りのサポートがなければ、たちまち行き詰ってしまいますね。
つまり「やりたいこと」「やりたくないこと」といった、どちらかといえば精神や気持ち、モチベーションに関わる部分は、生き延びていく上での最優先事項ではないでしょう。
例えば、極端な例ですが、自然災害に見舞われたときを想像してみてください。
そのときに必要なものは何でしょうか。自分自身がずっと見つからないと悩んできた「やりたいこと」なのでしょうか。自然災害のような緊急事態において必要なのは、救援であり、物資であるはずです。
もちろん自然災害に遭ったことにより、自分自身の人生や今後について見つめなおすということはあるでしょう。
しかし災害に遭ったいま現在を生き延びるという点において、「やりたいこと」は限りなく優先順位の低いものになっていくでしょう。
「やりたいことがあってもなくても、生き延びるという状況に変わりはない」ということです。
ですから、先ほども述べた通り、やりたいことが見つからなくてもまったく問題ありません。
やりたいことが見つかれば、人生を積極的に生きることにつながるのか?
それでも、現代の風潮として「やりたいこと」の大切さが説かれるのはいったいなぜなのでしょう。
その理由は、「やりたいことが見つかれば、人生が豊かで素晴らしいものになる」という考えが大衆に浸透しているからなのです。
ここで、二つの疑問が湧いてきます。
- そもそも人生は豊かにしなければならないのか?
- やりたいことが見つかれば、人生は豊かで積極的で素晴らしいものになるのか?
① 人生は豊かにしなければならないのか?
まず一つ目の「人生は豊かにしなければならないのか?」ですが、結論をいってしまえば、これは人によるでしょう。
人生を豊かで素晴らしいものにしたいと考える人にとっては、「やりたいことを見つけよう」という言葉は割とすんなり受け入れられると思います。やりたいことが見つかれば、自分のやりたいことをやって生きていけばいいのですから、人生は充実して今までより生きやすくなるというのも納得できるのではないでしょうか。
一方、「人生は別にいまの状態よりよくならなくても構わない」と考える人にとっては、「やりたいことを見つけよう」という言葉は、刺さらないばかりか、むしろ煩わしくさえ感じてしまうでしょう。
「やりたいことを見つけて、じゃあその先どうするの? 何かいいことがあるの?」というように感じてしまっても無理はありません。
「豊か」という基準も人によってまちまちでしょうし、「豊かな人生」を送りたいかどうかも人それぞれです。
それなのに「人生豊かになったほうがいい」と一辺倒にいわれれば、違和感を抱く人がいるのも当然なわけです。
② やりたいことが見つかれば、人生は豊かで積極的で素晴らしいものになるのか?
ここで二つ目の疑問に関係してくるのですが、そもそもやりたいことが見つかれば人生が豊かになるのかどうかということを考えてみる必要がありますね。
こちらも人によって答えは変わってきます。
よく勘違いしてしまいがちなのは「やりたいことが見つかる = 積極的で素晴らしい人生」と考えてしまうことです。多くの人はこのように考えているかもしれませんが、そうではないケースがあるということです。
つまり「やりたいことが見つかる = 積極的で素晴らしい人生」という方程式が成り立つ人がいるのと同じように、「やりたいことが見つからない・やりたいことは特にない = 積極的で素晴らしい人生」という方程式が当てはまる人もいるということです。
世の中の風潮として、どうも前者の式ばかりが尊ばれる傾向にありますが、それ自体を疑ってみるということが大切でしょう。
むしろ、「私は人生において特にやりたいことはない」と受け入れてしまったほうが、積極的に生きていけるということにつながる場合があるかもしれません。
実際に、田舎に移住して特にやりたいこともないけれど、充実した生活を送っている若者も増えてきています。ゆるく生きる、モノを持たずに生きる、何かを目指さずに生きる、特にやりたいことはないけど生きるなど、都会の喧騒や会社の出世街道とは無縁の生活を選んだ人たちがいるのも事実です。
彼らはある意味「生きるために生きている」のであり、もっとも人生を生きているといっても過言ではありません。世間一般にいうお金のためでも、いい車を買うためでも、タワーマンションに住むためでもなく、まさにいま自分の人生を充実させているひとつの形態といえるのではないでしょうか。
ここでもう一度二つ目の疑問に戻って考えてみましょう。
「やりたいことが見つからないとダメなんだ」と考えてしまうから悩みつづけるのであって、「やりたいことが見つからないけど、私はそれでいいんだ。やりたいことが見つからないけど生きていけるのだし。やりたいことが見つからないと受け入れてしまったほうが、人生に対して前向きに生きていけるんだ」と考えてみれば、案外こころが軽くなり、生きていくのが楽しくなるという人もきっといることでしょう。
まずは「やりたいことが見つからないと素晴らしい人生にならない」という固定観念を取り除くことがとても大切です。
仕事においてやりたいことが見つからない場合のデメリットはあるの?
では次に、「仕事においてやりたいことが見つからない」場合を考えてみましょう。
こちらも、やりたいことが見つからなくても問題はないでしょう。
人生においてやりたいことが見つからなくても問題がないのに、人生より狭いステージである「仕事」という範囲においてやりたいことが見つからなかったとしても、これはまったく問題はありませんよね。
ただ、仕事においてやりたいことが見つからない場合、いま自分が従事しているその仕事を続けていくことは結構苦痛になるのではないでしょうか。
そもそも仕事をする目的は何でしょうか?
さまざまあると思います。
- お金を得るため
- 生きがい
- 社会貢献
- 社会とのつながり
- スキルアップ
- 長い人生の暇つぶし
ただこの中で、仕事でやりたいことがあろうがなかろうが、共通して関わってくるのが「お金を得るため」という点です。
仕事をするに当たり、やりたいことが見つからなくてもお金を得ることはできます。ただし同じ「お金を得る」のであれば、やりたいことを見つけて仕事に取り組んだほうが、精神的には楽なのではないでしょうか。
仕事をしていても退屈で楽しくなく、場合によっては苦痛でさえあるということであれば、仕事に従事している時間がとてもつらいものになってしまいます。
ですから、仕事においてやりたいことが見つからないという場合で、精神的に楽に仕事を続けていくためには、大きく二つの方法があると思います。
- いまの仕事でやりたいことを何とか見つける
- やりたいことが見つかるような仕事に転職する
従事している仕事においてやりたいことがないまま仕事を続けていると、精神的につらくなってくる場合もありますから、いまの仕事の中で何とかやりたいこと、楽しいことを見つけるというのがひとつの方法です。
何とか探そうとしたけれど見つからないという場合もあるでしょう。そのときは転職するという方法もありますね。
一度きりの人生の場合は、別の人生に移り替わるということができませんが、仕事の場合はそれほどハードルが高くなく別の仕事に移り替わることができると思います。自分が納得していれば、何度転職しても構いません。転職回数の法的なルールは一切ありませんから。
もう一度振り返りますが、仕事においてやりたいことが見つからなくてもまったく問題ありません。
会社や組織というのは総じて、将来どうなりたいのか、どういう仕事がしたいのか、向上心が大切だ、など「やりたいことを見つけよう」的な傾向があります。
会社や組織は利益を上げる必要がありますから、そこで働く人たちにがんばってもらわないといけません。
したがってこういう発言につながるのですが、やりたいことを見つけなさいといわれた場合、「よし、やってやろう」というタイプと「将来出世したいわけでもないし、特に目指す方向もやりたいこともないし、見つけろといわれても困ったな」というタイプと両方いると思います。
どちらが正解というものでもありません。
正解不正解がないものに対して、「やりたいことを見つけることが偉いことだ」という一方向からの考えがはびこる風潮が問題だと感じます。
これは「人生においてやりたいことが見つからない場合」とも関わってきますが、自分自身が生き延びていくために、仕事においてやりたいことを見つけたほうがいいのか、見つからないままでも大丈夫なのかを改めて考えてみてほしいと思います。
見つからなくてもまったく問題ありませんが、自分自身の精神状態にとって大丈夫かどうか、このままその仕事を続けていくことができるのかという点を見つめていってはいかがでしょうか。
やりたいことが見つからないという不安感を和らげてくれる「胡蝶の夢」というお話
私は「やりたいことが見つからない」状態でも、まったく問題ないと考えています。
でも中には、どうしても「やりたいことが見つからない」状態が不安だという人もいるのではないでしょうか?
その不安を取り除く方法は二つあるでしょう。
- やりたいことを何とかして見つける
- やりたいことが見つからない状態を受け入れる
やりたいことが見つからない状態に不安を感じる場合、一つ目の解決方法としては「やりたいことを何とかして見つける」ということになるでしょう。
自分一人で見つけることが難しい場合は、家族や友人に相談したり、セミナーに参加したり、何とかして見つける方法をとる必要があります。一度コレだというものが見つかってしまえば、その不安は解消されるでしょう。
もう一つの解決方法は、「やりたいことが見つからない状態を受け入れる」ということです。言葉でいうのは簡単ですが、それができないから困っているのだという人がいるのもよくわかります。
これは即効性のある解決方法ではないかもしれませんが、こんな考え方をしてみるのはどうでしょうか。
「胡蝶の夢」という逸話を聞いたことがあるでしょうか。これは中国の古典『荘子』の故事に基づく次のような話です。
中国の思想家であった荘周が夢の中で胡蝶になり、目覚めた後、自分が夢の中で胡蝶に変身したのか、胡蝶がいま夢の中で自分になっているのか、区別がつかなくなったというお話です。
そこから「胡蝶の夢」という言葉は、現実と夢とが区別できないことの例えや、境目が定かでないことの例えに使用されます。
突き詰めれば、人生はわずかな夢のようなものかもしれません。
自分という確固たるものがあるというように感じていますが、実はその自分というものさえ、実は曖昧であやふやな存在なのかもしれません。
一炊の夢、邯鄲の夢などという言葉もありますが、宇宙の広大な時間に比べれば、人生というものははかないといえるものでしょう。
そのようなごくごくはかない人生において、やりたいことが見つからないと思い詰める必要はないということです。
人生は「生きているだけで充分すばらしい」のです。
自分の視点を宇宙の果てまで飛ばしてみましょう!
自分の人生は、短い夢ではないかと考えてみましょう!
悩んだり思い詰めたりしていたことが、ちっぽけなことなんじゃないかと思いませんか?
私は悩んだときいつも、この「胡蝶の夢」の故事を思い出すようにしています。
つらいことがあっても、これは夢なんだと思うことができれば、気持ちが少し軽くなるではありませんか。
何も投げやりや捨て鉢になっているのではありません。自分を責めたり思い詰めたりしないように、へこんだときは「人生は夢」なのだと考えるようにしているのです。
気持ちが軽くなれば、より前向きに生きていくことができます。
人生において大切なのは、「やりたいことを見つけること」のではなく「前向きに生きること」なのです。
気持ちが軽くなって、ものごとを少しでも前向きにとらえられれば、これほどすばらしいことはありません。
「胡蝶の夢」の逸話を、自分のいいように解釈していけばいいのだと思います。
キャリアアップコーチングまとめ:やりたいことが見つからなくても問題はない
以上、「やりたいことが見つからない」場合について詳しく見てきました。
やりたいことが見つからないというとき、大きく分けて「人生において見つからない」場合と「仕事において見つからない」場合があります。
結論、やりたいことが見つからなくてもまったく問題ありません。
問題なのは、やりたいことを見つけなければならないという固定観念にとらわれてしまうことです。
「やりたいことを見つけることが積極的で前向きに進めることなのか」、それとも「やりたいことが見つからなくても構わないと考えることが積極的で前向きに進めることなのか」、自分にとってどちらなのかを改めて問いかけてみてはいかがでしょうか。
自分自身に問いかけて、自分が納得できる答えを出す、これがもっとも重要なことだと感じます!
キャリアアップコーチング