『短歌を詠む科学者たち』松村由利子

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そのコインの片面には「科学」と書かれています。もう片面には「短歌」と書かれています。そんな少し変わったコインを持った七人の物語。

短歌を詠むのは歌人に限りません。本書は、短歌を詠んでいた(詠んでいる)科学者たちを取り上げた一冊です。著者は、まえがきで次のように述べています。

文系、理系という分け方をする日本では、二つの心をかけ離れたものと思う人も少なくないが、優れた科学者のなかには素晴らしい詩人が数多く存在する。

もし文系、理系という分け方をするのであれば、「短歌」は文系、「科学」は理系ということになるでしょう。したがって、科学者が短歌を詠むという行為は、かけ離れた別の二つの才能が必要なように感じます。しかし、文系・理系という分け方自体がそもそも適切なのでしょうか。一見かけ離れた「短歌」と「科学」をふたつ同時に成すことは才能だけでなく、大変な努力や修練が必要でしょうが、タイトルにある通り成し遂げた(成し遂げている)人物がいることは確かです。

本書では七人の科学者にスポットライトが当てられています。その七人とは、理論物理学者の「湯川秀樹」、精神医学者で歌人として有名な「斎藤茂吉」、生命科学者の「柳澤桂子」、理論物理学者の「石原純」、細胞生物学者の「永田和宏」、実験物理学者の「湯浅年子」、情報工学者の「坂井修一」です。斎藤茂吉、永田和宏、坂井修一などは歌人としての名の方が知られているかもしれません。

一章につきひとりの構成となっており、科学者としての研究、歌人としての短歌、そして科学と短歌を求めるひとりの人物としての人生が描き出されています。本書から、それぞれの一首を引いてみます。

逝く水の流れの底の美しき小石に似たる思ひ出もあり (湯川秀樹)
この部屋に留学生と吾なりてまたたくひまも惜しみたりにき (斎藤茂吉)
一口のパンがのみどを通った日私は真紅の薔薇になった (柳澤桂子)
天に充つる輻射のあれば箒ほしのうす尾はなびく日にそむく方に (石原純)
スバルしずかに梢を渡りつつありと、はろばろとし古典力学 (永田和宏)
鈴懸の芽ふきのみどり見つゝ思ふ吾にかゝはる世の中の事 (湯浅年子)
青乙女なぜなぜ青いぽうぽうと息ふきかけて春菊を食ふ (坂井修一)

歌人が歌を詠むとき、「てにをは」の一字もおろそかにはしないでしょう。言葉を突き詰めるということと、科学を突き詰めるということは、その根っこのところでは同じベクトルをもっているのではないでしょうか。科学者が詠む短歌という切り口で一冊がまとめられているこの本は、大変興味深いものです。短歌を通して見えてくる科学者の顔、一方科学の研究が短歌に与えた影響とはそれぞれどのようなものであったのでしょうか。また短歌と科学が互いに融合しながらときには反発しながらこのような短歌が生まれてきたことは、短歌の世界が小さな枠に納まらず、広がっていくためには必要なことであり、同時に幸せなことだと感じます。

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