読むだけでは物足りない。書くことをはじめれば、日本語の世界はさらに楽しくなる。
日本語が好きな人にとっての「好き」にはさまざまあると思います。「読む」のが好きな人、「書く」のが好きな人、「話す」のが好きな人、「聞く」のが好きな人、「見る」のが好きな人などなど。
本書はその中でも「書く」ことと「読む」ことに焦点を当てた一冊です。
第Ⅰ部が「書く作法」、第Ⅱ部が「読む作法」を取り上げています。著者は小説家から古典の名解説まで幅広く活躍していますが、本書の「書く作法」の「告白的文章作法」では次のように述べています。
文章を書くことは、小説家を生業としていながらこの説明はむつかしいけれど、あまり好きではない。昔からそうだった。学生のころははっきりと嫌いだった。面倒だった。日記を書くことなんか、学校の宿題でもない限りきちんと続けた記憶がない。
好きではないから短く書く。いろいろと思案をめぐらしても書くときは短い。
ー短編小説なんだよなあ、俺は、やっぱりー
と思わないでもない。
多くの名作短編を生み出している著者が昔は文章を書くことが嫌いだったという発言は、何とも興味深いものです。嫌いだったからこそ、短く書くということが成熟していったということでしょうか。
この文章自体のひとつひとつの文章も短く、テンポがいいと思います。読んでいて心地よくなる文章です。
第Ⅰ部「書く作法」には落語や言葉遊び、手紙、敬語、漢字の成り立ちなど、あらゆる角度から「書く」という行為に迫っています。小題を列挙すると次の通りです。
- 告白的文章作法
- 「直筆」の手紙力「縦書き」の効果
- 昔はみんな手で書いた
- 私の文字生活
- まねて覚える敬語かな
- 自己責任と小説の中の敬語
- 『敬語の指針』について
- 言葉遊びアラカルト
- 言葉遊びを伝えたい
- 帝都名画座へ通ったころ
- 一枚のレントゲン写真
- 三個のビア・グラス
- 小さい鉛筆並んだ
- 星新一の工房を推し測る
後半は「読む作法」として多くのページ数が割かれていますが、やはり本書の特徴は「書く作法」の方にあると思います。
アウトプットの大切さが各所で取り上げられていますが、もちろん「書く」ということはアウトプットのひとつではあります。
しかしアウトプットの手段としての「書く」ではなく、もっと根源的な思考と「書く」ことの関連性、「書く」とはどういうふうに培われていくものなのかについて思考を深めることのできる一冊ではないかと感じます。