京都の都をどりとは? チケット予約・アクセス・歴史を詳しく紹介!

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京都・都をどり・舞妓

歌舞伎など、伝統行事や芸事に興味がある人にとって、京都の「都をどり」は大変面白いと思います。

とっても簡単にいうと、歌いながら色んな物語や歴史、京都の紹介がされるものです。

都をどりは、明治からずっと続く京都の伝統行事の一つ。総踊という、大勢で舞台を華やかに踊りながら京都の名所を紹介する歌詞や、歌舞伎や逸話などを途中に取り入れながら行われるので、日本の歴史が好きな人も楽しめるような内容になっています。

京都で一年のうち、4月1日からおよそ一ヶ月の間しか行われない貴重な行事です。

オペラなどの海外の劇を見るときに、ある程度知識があった方が楽しめるように、こちらの都をどりも少し知っておくだけで何倍も楽しくなるので、予約をする前に少しでも予備知識をつけてから見ることをお勧めします。

目次

都をどりとは?

京都・都をどり・川

毎年4月の始めから終わりにかけての一ヶ月、京都の祇園甲部歌舞練場という国の登録有形文化財で行われる舞踊公演のこと。

(※2022年の公演は、本拠地の祇園甲部歌舞練場は耐震対策により休館中のため、南座公演です)

祇園甲部というのは、京都市東山区辺りを指しており、この辺りは京都で最大の花街と言われています。そのため、舞踊を披露されるのは主に舞妓さんや、芸妓さんが多いです。

京都にある花街は大きく分けると六つ

上七軒、祇園甲部、先斗町、祇園東、宮川町、嶋原の六つに分けられており、祇園甲部はその一つの地域になります。当時から、舞には流派がありました。

それは現代にも残っています。

舞妓さんたちが行う芸事の一つである舞踊ですが、これに流派があります。流派によって踊りの特徴があるらしく、幕末から明治にかけては、はんなりとしたおおらかな所作をする篠塚流が人気だったそうです。

祇園甲部は、井上流となっています。三代目の井上八千代さんが、京都で初めて開かれた博覧会の余興として都をどりを企画されました。井上流は篠塚流と対抗するため、江戸時代に全盛期を迎えた上方舞かみがたまいを集大成し、金剛流の能舞や、人形浄瑠璃、歌舞伎など様々なものを調査し、新しい舞を考えて考案していきます。

この独特の舞が、当時の祇園町と手を結ぶきっかけとなり、正式な唯一の流派として現在の祇園甲部の流派として残ることとなりました。

だから都をどりは、京都の名所を紹介する歌詞や、歌舞伎や逸話などを途中に取り入れながら行われています。

色んなものを取り入れながら成長を続けてきた井上流だからこそ出来る都をどりは、長い歴史の中で流派を残すために努力してきた歴史も感じることができるんですね。

開館の目的は? 何のために開催されている?

京都・都をどり

都をどりが初めて開催されたのは、明治三年です。

先ほどの都をどりの説明の中でも書いた通り、京都での初めての博覧会開催の余興として初代の井上さんが企画されました。

戦争の時以外、ずっと続けてきたこの都をどりが再び休演となってしまったのは、新型コロナウイルスがまん延した時だけです。

そのため2022年の都をどりは、新型コロナウイルスの影響があり一昨年から公演を中止していたため、三年ぶりとなる令和初の都をどりの開催です。

今年の歌題は「泰平祈令和花模様(たいへいいのり れいわはなもよう)」

新型コロナウイルスの収束への願いも込めて、この歌題となったのではないかと思います。

日本の春、4月は始まりの季節でもあります。泰平への祈りを込めて作られた今回の歌題、演目もそうですが舞妓さんたちが着る衣装や舞台の装飾など、見どころは沢山あります。

見るときの作法はあるの?

京都・都をどり・作法

映画館を見るときと同じ、と考えて大丈夫です。

服装については、特にジーパンでもスニーカーでも大丈夫です。

ただ、映画館を見るときと同じで開演後は、舞台に集中して観ることをおすすめします。せっかくの機会ですから、独特な日本の伝統文化にどっぷり浸ってしまいましょう。

出演者はどんな人たち?

京都・都をどり・舞妓

誰、という個人名までは分かりませんが、舞踊を披露される女性は舞妓さんや芸妓さんとなっています。

普段からお座敷などで舞を披露されている方々による、大勢での舞は優雅でとても美しく、普段は見られることのない人数での公演のため、かなり希少な機会だと思います。

一見さんはお断り?常連さん向き?

京都・都をどり・傘

こちらの都をどりを観ることに限っては、特に一見さんでも常連さんでも関係なく見ることができますので、公式サイトからチケットの購入が可能です。

無料の会員登録は必要になっているので、その点はご注意ください。

京都というとよく聞く「一見さんお断り」という言葉。

こちらは、初めて来る人はしきたりや作法を知っているかどうか分からないから、来てもらうのがちょっと心配です~、というような意味で私は捉えています。この言葉の中には、作法を知らなければ楽しんでいただくにあたって支障があるかもしれないというお店側の気遣いと、来店する人たちが楽しめないかもしれないというお客さん側の不安の両方があるから、初めて来るときは常連さんと一緒に来てね、ということなのかなとも思っています。

都をどりに関しては、一見さんも常連さんも関係なく楽しめる仕様になっている、ということなので初めての人でもチケットの購入が簡単にできます。

ちなみに、普通は舞妓さんたちと会おうとすると、対応しているお店に行かなければ会うことは出来ません。そのため、この都をどりという行事は、普通は会うことができないし舞もみることができない舞妓さんの芸を見ることが出来る、大変貴重な機会なんです。

いやもっと気軽に舞妓さんたちと話してみたい、近くで舞妓さんに色々聞いてみたいことがある!と思われる方は、そういった体験ができる専用のところもあるので、そちらで探してみる方が良いかもしれません。

  • お座敷体験プラン 宴-UTAGE-
  • 日本文化体験 庵an

これら以外にも、体験できる場所はいくつかあるようです。

都をどりについて知っておくと楽しめること

京都・都をどり・鳥居

事前にちょっと知っておくと楽しめる

以前、「オペラ座の怪人」を知り合いと見たことがあるのですが、行く前に母からどんな話なのか調べてから行った方が良いと聞き、なんとなくどんな話なのか、いつの歴史の話なのかだけ調べてから観に行きました。

詳しいことはパンフレットに書いてあったので、開演前にそれも読みました。

知り合いは、見たら分かるっしょ!と言い、見終わってみれば途中寝てしまっていたそうです。

私は、個人的に世界観とか話とか、あの出だしの空気作りから来る演出の仕方とかがもうすっごく好みだったのでのめり込んで見て、とても面白かったんです。

好みもあるので一概にこう、とは言い切れませんが、ちょっとでも観に行く話がどんな風なものなのか、どの時代を描こうとしているのか知っているだけでも、楽しめる幅が広がると思うので、ここでは実際の演目名に関連した知識を簡単にまとめます。

直接は関係しないかもしれないことも含めて、時代背景や、どういったこと、ものを都をどりで描こうとしているのかだけでも、楽しみ方は広がると思うので。

掛け声「よーいやさー」

都をどりが始まり、「よーいやさー」の掛け声とともに、舞台へ舞妓さんたちが現れてくる姿は色鮮やかで可憐で、目を奪われてしまいます。

この掛け声「よーいやさー」は、関東から関西にかけてのお祭りのお神輿の時に使われる掛け声でもあります。この掛け声の意味を、皆さんはご存じでしょうか?

語源は「いっそう栄える」なんだそうです。

地方によっては掛け声が違ったりすることもありますが、なぜ都をどりという、京都という既に栄えた場所でその掛け声なのか。

それは、初めて都をどりの公演があった明治三年の時代と関係があるのではないかと思います。

明治二年、都をどりが開催される一年前に丁度明治天皇と当時の政府である太政官が、京都から東京に移り住みました。これにより、京都が都だったものが江戸を東京と名を改めていく中で、京都が廃れてはならない。そんな思いもあり、始まりの掛け声があるのではないかと私は勝手に思っています。

さて、昔の祈りと京都の方々の力がずっと続き、今は観光地として世界に名を馳せている京都。

都をどりの演目

そんな京都で年に一度しか開かれない、今年の都をどりの演目は、全部で八つ。

  • 第1景「置歌(おきうた)」
  • 第2景「上賀茂社梅初春(かみがもしゃうめのはつはる)」
  • 第3景「夏座敷蛍夕(なつざしきほたるのゆうべ)」
  • 第4景「京遊戯色々(きょうのあそびいろいろ)」
  • 第5景「那須与一扇的(なすのよいちおうぎのまと)」
  • 第6景「勝尾寺紅葉揃(かつおうじもみじぞろえ)
  • 第7景「宇治浮舟夢一夜(うじのうきふねゆめのひとよ)」
  • 第8景「御室仁和寺盛桜(おむろにんなじさかりのさくら)」

第1景「置歌(おきうた)」

第1景「置歌おきうたの置歌とは、歌舞伎や舞踊の伴奏のことで、人物の登場や場面の展開などに先立って歌われます。

京都の有名どころについての紹介などを紹介しながら歌われます。都をどり鑑賞後や前に京都の観光をしていたなら、観光場所が歌に出てくるかもしれません。

第2景「上賀茂社梅初春(かみがもしゃうめのはつはる)」

第2景「上賀茂社梅初春かみがもしゃうめのはつはるは、題名でまず上賀茂神社が頭に浮かびます。上賀茂神社といえば、一番有名なのは賀茂競馬(かもくらべうま)でしょうか。

京都市登録無形民俗文化財に登録されている、五月ごろに行われる天下泰平と五穀豊穣を祈願する行事で、競馬により速さを競い合います。

下鴨神社と上賀茂神社で行われる葵祭(あおいまつり)も京都三大祭りとして有名です。平安時代から行われてきた国家的な行事で、賀茂氏と朝廷で行うものを貴族が見に来る、といったような貴族のお祭りが最初です。

源氏物語にも葵祭は描かれており、光源氏の最初の奥さんである葵の上が見物に行ったと書かれています。

葵祭は、昔の人たちが作物が全然育たなかった時に占ったら賀茂の神々の祟りだから、ちゃんと祭る儀式をしよう!と儀式を行った結果、作物が実ったので続けることになったのだとか。様々な祭りや儀式により、人々は天下泰平や五穀豊穣を祈ります。その祈りは、現代にも通ずるところがあるように思えます。

第3景「夏座敷蛍夕(なつざしきほたるのゆうべ)」

第3景「夏座敷蛍夕なつざしきほたるのゆうべでは、流水や蛍が描かれた着物や、青地に御所車などがあしらわれた総をどりの着物姿を観ることができます。
夏座敷は季語で、有名なのは松尾芭蕉さんが歌った句「山も庭も動き入るるや夏座敷」でしょうか。
奥の細道の旅の途中、秋鴉(しゅうあ)という人を訪ねた時の挨拶のような句になっていて、「秋鴉(しゅうあ)さんの家尋ねたら、山も庭も青々としていて、この座敷に溢れこんできそうなぐらいですね」という雰囲気の句です。
夏座敷は、昔の人は初夏になったら大掃除をしてこたつなどを撤去して、夏用にふすまや障子を取り払って涼しい風が入るように家を作り変えるようなことをしていたので、その夏用の座敷の部屋のことを夏座敷と言っていました。
衣替えのように、家も夏使用に変えて夜に蛍を見る光景は、自然と脳内で風鈴の音まで聞こえてきそうです。

第4景「京遊戯色々(きょうのあそびいろいろ)」

第4景「京遊戯色々きょうのあそびいろいろですが、遊戯といっても昔の遊戯というと色んなものがあります。

今と違いスマホゲームはありませんが、室内で行われる遊戯としては貝合わせや百人一首などが、今も歴史の教科書などにも残る有名な遊戯になるかと思います。

ただ、次の第5景の題名を私が見てしまい、遊戯も外で行われるものとして鷹狩があったなとふと思いました。

日本では昔、支配者の権威の象徴的な意味で狩猟は行われており、戦国武将たちも鷹狩を好きな人は多かったようです。国外でも、狩りを貴族の遊びとしていた国はあるようなので、雅な遊びと認識されていたのでしょう。

第5景「那須与一扇的(なすのよいちおうぎのまと)」

第5景「那須与一扇的なすのよいちおうぎのまとは、題名にある那須与一という者が、弓矢で扇を射たことを指しています。

これは平安時代後期にあった源氏と平家の戦いの中の「屋島の戦い」であった那須与一という名手の有名なお話です。平家一門が三種の神器を奪い逃げたのを追う源氏が追撃していたのですが、島を陣取る平家の方から一隻の小船に美女が乗っており、笹の先に扇をつけてこれを射てみよと挑発してきます。これを見た源義経は、やれ!と手練れの武士を探すが見つけた二名が辞退します、と言う中で白羽の矢が立ったのが、那須与一でした。彼は目を閉じ、神仏の加護を唱えるとそれまでに吹いていた風が凪いでいき、那須与一の放った矢は扇へ辺り、海へと落ちます。平家物語の名場面と言われるところでもあります。

那須与一という人物は、色んなゲームやアニメでも描かれる弓の名手です。最近アニメで放送されていた平家物語では、平家に焦点が当てられていたためその場面は描かれていませんでしたが、平家物語が分かりやすく描かれているので、平家について気になった方にはおすすめです。

第6景「勝尾寺紅葉揃(かつおうじもみじぞろえ)」

第6景「勝尾寺紅葉揃かつおうじもみじぞろえの勝尾寺といえば「ダルマ!」というぐらい、ダルマが有名ですね。

春の桜景色も良いと聞きますが、やはり秋のお寺の周りや山も一気に赤く染まったあの紅葉景色の方が人気です。

勝尾寺という名前は、平安時代に住職行巡が清和天皇の病気平癒の祈祷を行った時にもらった名前なんだとか。本来は「王に勝つ」という意味で名前をつけたかったらしいけれど、さすがにそれは畏れ多いでしょうってことで勝尾寺に差し控えたのが由来だそうです。

ちなみに、ダルマについて調べたことがなかったのですが、ダルマは鎌倉時代に日本に伝わった縁起物です。菩提達磨は、インド人の教僧で達磨大師とも呼ばれていたそうです。

ダルマという単語は、サンスクリット語で「法」という意味を指しており、この人が中国に禅宗を広めたとってもスゴイ人です。当時の怖い伝説には、達磨さんが九年の座禅をした結果手足が腐ったから、今のダルマの形の置物になったとか。なんて怖いことを、と調べていて思わず画面を閉じてしまいましたが、ダルマは今も願いが叶うと人気の縁起物です。

勝尾寺は、名前に勝つという字が入った勝運の寺として今もなお信仰されており、新型コロナウイルスに勝つという意味も篭っているのかなぁ、と妄想してしまいます。

第7景「宇治浮舟夢一夜(うじのうきふねゆめのひとよ)」

第7景「宇治浮舟夢一夜うじのうきふねゆめのひとよという題名の浮舟は、源氏物語を彷彿とさせられます。

54帖からなる源氏物語の最後、夢浮橋に出てくる源氏物語最後のヒロインの名前が浮舟です。

彼女は物語の始めの方で「ひたぶるに うれしからまし 世の中に あらぬところと 思わましかば」という句を詠んでいます。これは、今いる場所が別世界のような場所だったのなら、何もかも忘れられて嬉しいのになぁ。というような雰囲気の句になっています。

浮舟は、他の巻で出てくるヒロインたちと違って身分や立場は低めです。そんな彼女が色々な悩みや、苦しい思いから解き放たれて明るい世界に行けたのなら、という切実で悲しい思いが込められています。

東国から都へ、そして二条院、三条の家、宇治へと転々とする彼女の居場所は、どこへ行くのか分からないまま流されていく小舟のような人生を送っていた浮舟には、不安が絶えなかったことでしょう。

今の世の中にも通じるような感情や思いがあるので、源氏物語が気になった方はぜひとも最初から最後まで読んでみてほしいです。

個人的におすすめなのは、漫画で描かれた源氏物語。立身出世や人の感情の揺れ動き、何より恋愛について描かれていることが多いので、私は少女漫画家さんが描いているものが良いなと思い、次の漫画を読みました。

・あさきゆめみし 源氏物語(著者:大和 和紀)

学生の時に読んでれば、これで源氏物語は完ぺきだったのに!と後悔したほど分かりやすく読めた作品です。こちらの著者・大和和紀さんは、有名な「はいからさんが通る」を描かれた方です。世界の五か国語に翻訳されるほど世界の色んな人に読まれている漫画で、完結もしているため読みごたえも抜群です!

第8景「御室仁和寺盛桜(おむろにんなじさかりのさくら)」

第8景「御室仁和寺盛桜おむろにんなじさかりのさくらは、八つの演目の最後。公演している時期と同じ、桜の季節へ。

仁和寺は世界遺産にも登録されている、真言宗御室派の総本山です。平安時代後期に元号の仁和から仁和寺と名を改めてからは、ずっと皇室とのゆかりが深いお寺です。仁和寺は明治維新で明治天皇が東京へ皇居を移したことから、仁和寺の門跡に皇族がつかなくなったため「旧御室御所」とも呼ばれていました。

丁度、第一回目の都をどりを開催した理由と重なる部分でもあります。

天皇陛下が東京へ移られ、皇室に関連する方々が次々と京を離れ、残ったのはほとんど町人たちだったと言われています。彼らは皆、一致団結してこれからの京都を守っていこうとしていました。人がどっと減って、色んな事が不安だったと思いますが、だからこそ博覧会の余興で行ったこの都をどりを見た当時の人たちも共感したのではないでしょうか。一生懸命な思いは言葉にしなくても伝わるもので、同じように思う人の心に響きます。

全演目、第8景までそれぞれ題名ごとに関連するものや事について、舞踊と関係するものも関係しないものも色々と述べてきましたが、結局は観に行った人が感じたものが答えです。

ただただ衣装や音楽、踊りに感動するのも良いし、演目の中に舞踊で披露される世界を感じ取り、過去に思いを馳せるのも素敵なことです。これらのことが、都をどりを観ることで京都の世界を堪能できる一助となれば幸いです。

開催時期、閉館時期は?

京都・都をどり・桜

開催時期: 令和4年4月1日(金)~24日(日)
1回目の公演 12:00~
2回目 の公演14:20~
3回目 の公演16:40~
※休演日 4月11日(月)

チケット販売は、一般・個人いずれも令和4年1月6日 10時から開始されます。

都をどりへのアクセス

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