『うたびとの日々』加藤治郎

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歌がそこにある日々、日々から紡ぎだされる歌。

一般的には短歌を詠む人たちのことを歌人かじん(うたびと)と呼びます。しかしもう少し深い意味において「歌人とは何か」「何のために歌を詠むのか」という問いは、単純な回答を拒否するような問いかけであるような気がします。

著者はあとがきにこう記しています。

歌人は職業ではない。歌人は存在様式である。そう思っている。では、どういう形で歌人が現代に生きているのか。それは一般の人々には殆ど知られていないのではないか。私にとって自明のことも、書き記しておこうと思ったのである。

歌人は職業ではなく存在様式であるというところに、さきほどの問いに対する答えのヒントがあるように感じます。

本書は短歌にまつわる日常や思考、歌人としての存在などをつづったエッセイ集です。Ⅰ部「短歌の現代性リアル」とⅡ部「歌人うたびととして生きる」の大きく二部からなる構成となっています。

  • 〈リアル〉からの逃走
  • 短歌と社会
  • 歌人と一般読者と
  • 〈たんかっち〉という挑戦
  • 塚本邦雄の魔術
  • ポピュラリティーの行方
  • 実生活と作歌
  • 想像力の回復を (以上Ⅰ部より抜粋)
  • わが短歌入門
  • 青春の空隙を埋めた短歌
  • ビートルズとともに
  • 初めての歌会
  • 青春五十年
  • 選からはじまる
  • 短歌結社という名の文学集団
  • 岡井隆、最後の歌会
  • 企業人として
  • 加藤家の日々
  • 気ままな日曜  (以上Ⅱ部より抜粋)

題を並べてみるとさまざまな角度から短歌がフォーカスされ、さまざまな場面に短歌が登場していることがわかります。

その中の「企業人として」は、著者の仕事を通した実生活と短歌との関わりがつづられています。「歌人は職業ではない」というひとことは、著者が企業に属しながら短歌を続けてきた歳月そのものから発せられている言葉なのかもしれません。最後に、本書に掲載されている著者の作品をいくつか取り上げてみたいと思います。

雨粒の真横に奔る車窓かな俺の額が鋭くゆがむ
夜の霧ってあるものね、あるものさ 代々木競技場の屋根がひかってる
空間に青くあわだつディスプレイ電子の魚の棲むと思うまで
言葉では ない言葉では ない言葉 ではない言葉 ではない言葉
俺は何から逃れたいのかテーブルにトマトの種が流れだしたら

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